微生物と酵素で肥料を分子栄養に変換/置換?
中におけるイオンの交換吸着現象
土中のイオンは、さまざまな動きをする。
あるものは、水と一緒に動く。
還元アミノ酸酵素溶液「リズム3」によるイオン交換/置換のメカニズム
あるものは、土に吸着したり、土から離れたりする。
また、あるものは...土に強く吸着し、容易に離れなくなる。
イオンの土への吸着は、土からのイオンの流出を妨げたり遅らせたりするため、地球上の物質循環に重要な役割を果たす。
土のイオン吸着機能は、肥料の効率的利用という観点から注目されてきた。
とくに土の中の肥料...三要素の窒素 / リン酸 / カリウムの挙動に関心が寄せられ、その現象の解明によって増収が図られてきた。
土のイオン吸着機能は、農業に有利に働く場合と、不利に働く場合がある。
たとえば、ア ンモニア態窒素イオンやカリウムイオンは、土に吸着保持されるため...作物がそれらを効率的に吸収することができる。
一方、リン酸イオンは...火山灰土に強く吸着し、容易に離れなくなるため、作物が吸収しにくくなる。
土のイオン吸着機能は、公害対策面や環境保全面からも重要視されている。
重金属イオンは、土に強く吸着されて土を汚染し、作物やそれを摂取した人体に甚大な害を及ぼす。
肥料の湖沼への流亡は、湖沼富栄養化の一因となる。
これらの問題は、健康にかつ豊かな自然環境を享受して生きていくために、解決すべき重要問題である。
肥料の流出量を予測し、流出防止対策を講じたり、重金属汚染土壌を改良したりするためには、土の吸着メカニズムを把握する必要がある。
肥料 / 重金属等のイオンと、土の吸着メカニズムは多様である。
土の荷電特性
1850年、イギリス/ ヨークシャーの農場主トンプソンは、土の塊の上から窒素肥料の硫安(硫酸アンモニウム)の水溶液をかけて、下から滴り落ちる液滴を調べてみた。
ところが...出てきた液には、加えもしない硫酸カルシウムが含まれていた。
硫酸アンモニウム溶液を加えたにもかかわらず、硫酸カルシウム溶液が出てきたということは、土中にCa2+(カルシウムイオン)が何らかの形で保持されており、NH4+(アンモニウムイオン)が 土の中に流入してくると,NH4+がCa2+の代わりに土の中に保持され,Ca2+が流出すると考えるほかない。
土が陽イオンを取替えるこの現象は、当時としては余りにも突飛な印象を与え、近代有機化学の父として知られているリービッヒすら、「起こりうべくも無い事実」として、実験結果そのものを認めようとしなかったほどである。
この奇妙な現象を引き起こす原因は、粘土鉱物等の有する荷電に他ならない。
上述の例では、土中の粘土鉱物等負に帯電した物質が、静電気力で土壌溶液中の陽イオンを吸着していたのである。
粘土の荷電特性
粘土の荷電特性粘土には、土中水のpHによって荷電量が変化することのない永久荷電と、土中水のpHによって荷電量が変化する変異荷電がある。
永久荷電と変異荷電は、発生のメカニズムが異なり、粘土の構造と密接な関係をもって いる。
土は、荷電を持ち...静電気力によってイオンを吸着する。
静電気力による吸着は、可逆的で...容易にイオン種間で交換吸着する。
しかし、重金属イオンやリン酸イオンは...土の変異荷電に特異吸着し、容易に離れなくなる。
これは、それらのイオンが静電気力で吸着されることに加えて、変異荷電を発現する土の原子と結合するためである。
K+・NH4+は、2:1型結晶性粘土鉱物の層間に固定され、容易に離れなくなる。
イオンと土の吸着反応は、このように多様であるが、土の荷電特性や構造からかなりの程度理解できる。
土の持つ荷電と反対符号の荷電を持つイオンは、土に吸着するため、水や土に吸着しないイオンと比較して、土の中での動が遅れる。
また、吸着力に差のあるイオン間の交換吸着反応を伴う移動では、吸着力の大きいイオンが吸着しながら移動する場合と、吸着力の小さいイオンが移動する場合では、イオン溶液先端の濃度分布が異なる。
前者では、急な濃度勾配...後者では緩やかな濃度勾配を取りながら移動する。
土の中での物質の交換吸着現象は、農業分野でも...重要であると思われる。
永続的で、周囲の環境と調和したよい農地を造成整備するためには、水収支ぼかりでなく...物質の収支と土の中での物質の挙動に対する配慮を欠くことはできない。
本講では、土壌水中のイオンに対する土の吸着反応と、吸着を伴うイオンの移動について述べた。
ここでは触れなかったが、イオンの移動には...土壌間隙中で起こる水力学的分散や水みちの影響が無視できない場合が多い。
参考文献
1.植物の養分吸収をめぐる諸説
物理学、化学や生物学などの...自然科学が急速に発展し、新しい発見や発明に基づく理論や法則が次々と登場してきた。
人々は、身の回りのあらゆるものに、科学の目を向けるようになった。
植物の養分吸収についても、科学者の関心と探究心が注がれるようになる。
植物は、動物がエサを食べるように根っこから土の粒を取り込むとして 「土粒栄養説」 という考え方を1731年に提唱している。
これに対し、1761年に、スウェーデンの化学者ワーレリウスは、土の中の黒い物質(腐植;ふしょく)こそが植物の養分であるとして、「腐植栄養説」 を唱(とな)えた。
この腐植栄養説は、ドイツの化学者テーアによって支持され、広く一般に普及することになる。
テーアは、1809年から1812年にかけて 『合理的農業の基礎』 全四巻を著し、腐植栄養説を取り入れた独自の農学理論を展開した。
その後1804年に、スイスの化学者ド・ソシュールによって、“植物は空気中の炭酸ガスを大量に吸収して栄養源にしている (光合成)” という現象が定量的に証明され、それまでの植物の養分に関する考え方に新説が加えられることになった。
この光合成による炭酸ガス以外の養分は、植物はすべて根から無機養分として吸収する、と主張したのはリービッヒである。
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写真1 エルランゲン大学生時代のリービッヒ
(田中 實『化學者リービッヒ』より)
2.リービッヒの「無機栄養説」登場
リービッヒは、1803年に薬剤商の息子としてヘッセン-ダルムシュタット公国 (現ドイツ) で生まれた。若いころから化学に興味を持ち、ボン大学とエルランゲン大学で化学を専攻し(写真1)、研究者としてスタートした。
弱冠22歳でギーセン大学の教授に就任(前任教授の事故死というハプニングにもよるが)したというから、世界的な記録でもあろう。
リービッヒは、新しい実験装置の開発や有機化学の研究で輝かしい成果を上げるが、一方では農業にも大きな関心を示し、1840年に有名な『化学の農業及び生理学への応用』を著し、農芸化学の父とも呼ばれている。
リービッヒは、少年時代の1816-1817年にヨーロッパ大飢饉を経験しており、このことが農業の重要性を認識させる契機にもなったと思われる。
上記の著書の中で、リービッヒは自身の実験結果に基づいて、“あらゆる植物の栄養源は腐植のような有機物ではなく、炭酸ガス、アンモニア(または硝酸)、水、リン酸、硫酸、ケイ酸、カルシウム、マグネシウム、カリウムなどの無機物質である” という 「無機栄養説」 を唱える。
このリービッヒの新説は、前記のテーアの腐植栄養説を否定することにもなり、大きな論議を呼んだ。
しかしその後に、水耕栽培の手法が開発され、無機養分のみで植物が生育することが証明されて、腐植栄養説は退けられ、リービッヒの無機栄養説に軍配が上がることになるのである。
3.リービッヒのミステイク
このようにして、リービッヒの無機栄養説は広く世間に認められることになる。
しかし、日本の至言 “弘法も筆の誤り” のごとく、俊才リービッヒといえども大きなミスを犯していたことに気付かなかった。
それは、植物の最重要元素の一つといえる窒素の吸収についてである。
外から化学肥料でも施用しないかぎり、一般には土壌中の無機態窒素 (アンモニアや硝酸) の量はきわめて少ない。
とても植物が十分に生育できる量ではない。
なのに植物が窒素をたくさん吸収しているのはなぜだろうか?
これはきっと、植物が空気中からアンモニアガスを吸収しているからに違いない、とリービッヒは考えた。
多分リービッヒは、根粒菌と共生して空中窒素を利用できるマメ科植物の生育を見て、そのような結論に達したのであろう。
後に、この植物の窒素栄養源については、イギリスのローザムステッド農業試験場の研究者であったローズとギルバートによって強烈に批判された。
ローザムステッドの二人の研究者は、綿密な圃場(ほじょう)試験を繰り返し、その観察から、空気中からごくわずかに供給されるアンモニアガスは、とうてい作物の生育には足りない窒素量であると結論した。
このアンモニアガス説の批判に対して、リービッヒは猛然と反論し、大論争となる。しかしこの論争は、どちら側も確かな説明データを持っているわけではなかったので、最後は感情論の応酬になってしまう。
ローズとギルバートは、リービッヒを「現場の農業を知らない理論ばかりの学者」と非難した。
これに対しリービッヒは、両者を 「生涯にただの一度も化学の教科書を手にしたこともなく、ぶっ掛け試験ばかりを繰り返している連中に、科学的な思考などできるはずがない」 と軽蔑(けいべつ)した。
ここまでくると、研究者の論争というよりも、子どもの幼稚なケンカのレベルになってしまう。
農学が、最終的には現場 (圃場) で実証されるべき実学である以上、このような論議は宿命かもしれない。
そして、現在でもしばしば、このような論議は聞かれる。その論議のルーツが、ヨーロッパの偉大な研究者にあるというのも、また面白い。
4.窒素の無機化を最初に発見した人はだれ?
日本の土壌肥料学の教科書では 「植物は、リービッヒの無機栄養説に基づいて、養分を無機物質として根から吸収する」 と書かれている。
しかし、リービッヒは 「植物は窒素をアンモニアガスとして空気中から取り込む」 と考えていたので、上記の教科書の記述は正確とはいえない。
植物の窒素栄養については、その後も多くの人々によって論争され続けたが、土壌中での窒素の動態は不明のままで時代が過ぎてゆく。
19世紀の半ばになると、フランスの微生物学者パスツールが研究成果を次々と発表し、自然界の物質変化に微生物が大きく関与することを証明する。
また、土壌が膨大な微生物の住みかであることも次第に明らかになる。
そして1877年には、シュレシングとムンツの二人の研究者により、土壌微生物のはたらきでアンモニアが硝酸に酸化される現象(硝化作用)が発見される。
さらに、この硝化作用を追試験していたロバート・ウォーリントンによって、«土壌中の有機物は土壌微生物によって分解されて無機化する» ことが発見されるのである。
このウォーリントンの偉大な発見によって、土壌-微生物-植物間の相互関係が明確になり、植物の窒素栄養に関する基本概念が確立したのである。
このあたりの経過について、E. N. ラッセルの名著 『Soil Conditions and Plant Growth』 の中には次のように感動的に記述されている (筆者拙訳)。
ウォーリントンは、たとえ窒素成分が堆肥(たいひ)のような形で施用されても、有機態窒素は土壌中で微生物により速やかに硝酸に分解され、この硝酸を植物が吸収することを証明した。
そしてこの発見により、マメ科以外の植物の窒素栄養に関する長年にわたった論争に、終止符が打たれたのである。
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図1 土壌中における微生物による有機物の無機化
(模式図、筆者原図)
ウォーリントンはイギリスの農学者である。父親はローザムステッド農業試験場で、前記のローズの顧問化学者をしていたようだ。
子どものころから体が弱かったウォーリントンは、正規の学校にも大学にも行ってない。
若いころは、父親の紹介で、ローザムステッド農業試験場でローズの手伝いをしていた。
そのころから農学や微生物学に興味を持ち始め、見よう見まねと独学で研究を始める。ローズの助言や指導もあったと思われるが、植物の窒素栄養に関して画期的な発見をしたことは、おおいに評価してもよいと思う。
しかし残念なことに、日本においてはウォーリントンについては、ほとんど知られてない。ヨーロッパで派手な大論争を繰り広げたリービッヒの陰に隠れて、目立たない存在であったのだろうか。
ウォーリントンの業績は、リービッヒの無機栄養説を分かりやすく説明するための、強力な補助線になっているのであるが、このことも日本ではあまり知られてない。
残念なことに、土壌中の有機物と土壌微生物、および植物の養分吸収の関係を模式的に示した。
余談ではあるが、ウォーリントンには優秀な娘(キャサリン・ウォーリントン)がいた。
彼女も父親にならって農学者を志し、後に、植物の必須元素としての微量要素ホウ素の発見者として、名をなすことになる。
5.リービッヒと有機農業
長年にわたって問題点として残されていた窒素栄養の問題も解決し、リービッヒの提唱した「無機栄養説」は、普遍の原理として広く認められることになる。
しかし一方では、現在でも、有機質肥料を尊重して化学肥料の使用を敬遠する有機農法の考え方があることも事実である。
有機質肥料は、動物や植物由来の有機物を原料として作られた肥料のことである。
原料はきわめて多様であるが、代表的なものは、油かす、魚粉、肉骨粉、米ぬか、わら類、落ち葉類、家庭生ゴミ、家畜排せつ物などである。
これらの原料をそのまま肥料として土壌に施す場合もあるが、一般的には、いくつかの原料を混ぜ合わせて発酵処理をしてから肥料として使う。
有機質肥料が土壌に施されると、図1に示したように、有機物は土壌微生物によって分解される。
有機物が微生物の分解を受けると、炭素(C)/ 酸素(O)/ 水素(H)は、炭酸ガス(CO2)と水(H2O)になり、窒素やそれ以外の栄養分(リンやイオウなど)は無機イオンとなって土壌中に放出される。
この放出された無機イオンを植物は養分として根から吸収するのである。
すなわち、有機物として肥料を施しても、植物は有機物を直接吸収することはできない。
植物は、有機物が無機イオンとなって、はじめて利用することができるのである
(最近では、低分子のタンパク質が、直接根から...少量でながら吸収されることがある)。
したがって、肥料を有機物(有機質肥料)で施しても、無機物(化学肥料)で施しても、植物の根が吸収する場面では、養分は無機イオンとなってしまうので、そこに違いはないといえよう。
この点については、有機農業を主張するグループと、科学的な集約農業を主張するグループが、長いあいだ論争を繰り返してきた問題でもある。
しかし、有機質肥料と化学肥料には、それぞれに長所と短所があるので、両者をうまく組み合わせて使うというのが最善の方法といえるのである。
有機質肥料の長所の一つは、作物に養分を与えるだけでなく、土壌の改良も兼ねるということである。
有機物の一部は腐植として残り、土壌の団粒形成を促進する。このため、有機質肥料を多く使って作物の栽培を繰り返していると、土壌は軟らかくなり、また緩衝力が増してくる。
化学肥料には、養分供給以外のこのようなはたらきはほとんどない。
ただし、有機質肥料のみで、作物の生産に十分な養分を与えようとすると、その量はかなり多いものとなる。
このことはまた、環境汚染など別の問題をひき起こすことになるので、有機質肥料と化学肥料との適度な組み合わせが必要となるのである。
現在、日本は膨大な量の食糧や飼料を海外から輸入している。
この輸入品には、当然、窒素、リン、カリウムなどの成分が含まれる。
これらの一部が、家庭生ゴミ、下水汚泥、家畜排せつ物として国内のあちこちで排出され、その処分が大変な問題となっている。
これらを原料として、有機質肥料を製造しようという試みは何年も前から行われているが、設備、コスト、安全性などさまざまな問題があって、資源の有効利用がうまくいっていないのが現状である。
リービッヒは、無機栄養説を提唱したが、一方で、農業における物質循環の重要性を認めており、有機農業的な考え方も重視している。
日本における江戸時代の農業を、循環型農業として高く評価したリービッヒの記述が残っているのは興味深い。

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